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小泉八雲―怪談とフォークロリストのまなざし―
(2026.2.19更新)
展示資料

第1章 異界の旅人 ―飛翔する白鷺―

1850年、ギリシャでラフカディオ・ハーンは産声を上げました。2歳でアイルランドの大叔母に預けられ、孤独な幼少期を経験します。この頃から、幽霊や精霊を幻視するようになります。13歳のとき、イギリスの全寮制神学校に入学するも、徐々にキリスト教への 反発を強めます。19歳になったハーンは単身渡米、新聞記者としてシンシナティ、ニューオーリンズ、マルティニークを飛び回りました。まるで、自らの姓(Hearn)由来である白鷺(heron)のように、理想郷を求めさまよい続けたのです。

「私の守護天使」草稿

明治時代 松江市立中央図書館蔵

私の守護天使

当初、「カズン・ジェーン」という題名で執筆された本稿では、幼少期の神秘体験が語られます。ある日、ハーンは懇意にしていたジェーンから信仰に関する説教を受け、あまりの暴言に死別を願うほどの憎悪を覚えます。ある秋、ハーンはいるはずのないジェーンの幻を見ますが、こちらを振り向くジェーンの顔はなく、恐怖を覚えました。その後、ジェーンは病死してしまいました。この経験は、『怪談』所収の「むじな」を生み出すきっかけとなったと考えられています。

ゴンボ・ゼーブ

明治18年(1885) 松江市立中央図書館蔵

ゴンボ・ゼーブ

ルイジアナ、ハイチ、マルティニーク、トリニダード、フランス領ギアナ、モーリシャスというクレオール文化圏のことわざ辞典で、明治17年(1884)のニューオーリンズ万博開幕に合わせて企画されました。「ゴンボ・ゼーブ」とはルイジアナで愛されるハーブ入りガンボ(スープ料理)の名で、混淆こんこう的なクレオール文化を、種々の具材を煮込んで作るガンボになぞらえたと思われます。本書の序文には「いま、伝承を書き留めておかなければ」と、民俗研究の嚆矢こうしとなるという強い意志が語られます。

※ここでのクレオールとは、北米南部・中南米におけるヨーロッパ、アフリカ、先住民などの混淆文化を指します。


第2章 神々の国へ ―小泉八雲への転生―

長い旅の末、ついにハーンは理想郷たる神々の国、日本へたどり着きます。目前に広がる『古事記』の世界と、素朴な信仰をいまだ持ち続ける人びとの姿。ハーンは日本人を小さな妖精とたとえ、その営みを見つめ続けました。その一方で、忍び寄る西洋近代化と軍国主義の波。期待と不安のなか、ハーンは松江で生涯の伴侶、セツに出会います。松江を離れ、熊本、神戸と旅を続けるハーンは小泉八雲へと“転生”し、日本人の自然観・宗教観を反映させた日本印象記や再話作品を生み出していきます。そして、終の棲家となった東京では、『怪談』が生まれようとしていました。

出雲国大社図

江戸時代 島根県立古代出雲歴史博物館蔵

出雲国大社図

松江へ赴任して2週間後、ハーンは出雲へ赴き、その感動から蒸気船の音が「コト・シロ・ヌシ・ノ・カミ」「オオ・クニ・ヌシ・ノ・カミ」とまるで祝詞のように聞こえたと書き残しています。そして、西洋人としてはじめて大社(現在の出雲大社)の本殿への昇殿が許されました。本図は、出雲大社が石見国の富豪・志学富屋へ授与した境内図です。延享元年(1744)の遷宮以降の境内が精緻に描かれ、ハーンが見たであろう大社の姿を伝えています。

『知られぬ日本の面影』

明治27年(1894) 近畿大学中央図書館蔵

知られぬ日本の面影

来日後の第1作となる作品で、のちに初版26刷のベストセラーとなるハーンの代表的な日本印象記です。表紙には雪輪と竹が描かれ、ハーンは「竹の本」と呼んだといいます。横浜到着時から松江・出雲での見聞に基づく話を中心とする27章を収録しています。松江の橋の幽霊話や大亀の怪異譚など、山陰地方に伝承される民間信仰や俗信についての記述が厚く、ハーンの民俗学的な関心がうかがえます。


第3章 幻想の筆記者 ―怪談の世界―

小泉八雲の代表作にして再話文学の傑作、『怪談』。八雲は、セツの口から語られる怪異譚や奇談を聞き、想像を膨らませながら再話作品へと昇華させるという手法をとりました。八雲の卓越した文体とセツの臨場感ある語りによって生まれた幻想の文学は、まさにふたりの共著作品ともいえます。それらのひとつひとつは、私たちに恐怖を感じさせながらも、どこか神秘的な趣きを有しています。それは、文学者としてだけでなく、フォークロリストとしての側面を持つ八雲だからこそ生みだすことができる物語だったのかもしれません。

『怪談』

明治37年(1904) 松江市立中央図書館蔵

怪談

八雲は、昔話や伝説、神話などの原典を語りなおし、物語を生み出す「再話文学」を多く残しています。『怪談』は、小泉八雲の晩年の代表作といえる再話作品集です。平家の亡霊に魅入られた琵琶の名手・芳一ほういちを巡る惨劇「耳なし芳一の話」や、江戸・紀ノ国坂でのっぺらぼうに遭遇する「むじな」など、今日まで知られる怪談話を多数収録しています。八雲は、妻セツの語る物語を聞き、小説を編みました。本展では、『怪談』をはじめとする再話文学の原典となった資料もあわせて展示いたします。

「耳なし芳一」草稿

明治時代 松江市立中央図書館蔵

怪談

盲目の琵琶の名手・芳一のもとに、ある夜、武士が訪ねてきます。誘われるがまま御殿に赴き、求めに応じ壇ノ浦合戦の段を弾唱する芳一。しかし、御殿は墓場で、芳一は平家の亡霊に魅入られていたのでした。それを知った和尚は芳一の体中に経文を書くも、唯一耳に書くのを忘れ、芳一の耳は亡霊に引きちぎられました。耳なし芳一は、『臥遊奇談がゆうきだん』(1782)所収の「琵琶秘曲びわのひきょく泣幽霊ゆうれいをなかしむ」を原典に再話されたといわれます。セツは、「門を開け」と武士が叫ぶ場面で、八雲から強みがないと返され、猛々しく「開門」と語ったと回想しています。

小泉八雲秘稿画本 妖魔詩話ようましわ

昭和9年(1934) 島根県立古代出雲歴史博物館蔵

小泉八雲秘稿画本妖魔詩話
雪女(部分) (展示期間:4月11日~5月11日)
小泉八雲秘稿画本妖魔詩話
船幽霊(部分) (展示期間:5月13日~6月8日)

八雲の没後30年を記念し、長男の一雄が遺稿をもとに500部限定で刊行しました。本書の序文によると、セツが購入した『狂歌百物語』を目にした八雲は「コウ面白イ!貴女忙シ無イノ時、是非読ム下サレ、私翻訳シマセウ」と喜んだそうです。八雲の描く妖怪たちは、 『狂歌百物語』の挿絵とは一線を画し、独特のイメージで表現されています。たとえば、『怪談』で美女に化けて現れるとされる雪女はどこか洋風の姿で描かれます。また、 おけ柄杓ひしゃくで水をすくい入れ、船を沈める船幽霊ふなゆうれいは、まるで死神のようです。

※会期中、一部ページのめくり替えをいたします。


終章 受け継がれるゴースト ―魂の行方―

明治37年(1904)の秋ごろから、八雲はときどき心臓発作を起こすようになりました。9月26日の朝、八雲はセツに珍しい夢を見たことを告げます。どんな夢だったかを聞くと、「大層遠い、遠い旅をしました」と答えました。その晩、再び心臓発作を起こし、八雲はあの世へ旅立ちました。八雲の残した数々の作品は、今なお人びとに影響を与え続けています。異邦人として、作家として、そしてフォークロリストとして日本人の霊性〈ゴースト〉を見つめ続けてきた八雲の魂は、紡がれた言葉とともに私たちに受け継がれています。

『日本―ひとつの解明』

明治37年(1904) 近畿大学中央図書館蔵

日本―ひとつの解明

アメリカ・コーネル大学で行う予定であった連続講座の草稿をまとめた、日本研究の集大成であり遺作です。八雲は、「活字を組む音がカチカチ聞こえる」と出版を心待ちにしていたといいます。そのほかの著書と異なり論文形式をとり、日本における宗教の役割について、家族や地域社会、国家という異なるレベルから論じました。八雲は、祖先崇拝を基軸とした宗教に基づく慣習が維持されることで社会道徳の秩序が保たれてきたと指摘、「死者の法律」の重要性を説きました。

ヘルン像(右横顔)小泉清こいずみきよし

昭和25年(1950) 小泉八雲記念館蔵

ヘルン像(右横顔)

八雲の三男・小泉清(1899~1962)は、明治45年(1912)に早稲田中学に入学後、會津八一あいづやいちに画才を見出されます。大正8年(1919)、佐伯祐三や前田寛治らも所属していた東京美術学校(現:東京藝術大学美術学部)に進学、画家を志します。その後、フォービズム(野獣派)の画風を追求しました。この絵は、清が描いた八雲の右横顔です。八雲は少年時代の事故で左目を失明しており、写真にはほぼ右側の横顔を収め、頑なに左目を隠しました。清は、八雲が隠し続けた左横顔も描いています。本展では、両作品あわせて出品いたします。