生人形
(2026.3.7更新)
生人形(活人形)は、幕末から明治にかけて、大阪の難波新地や千日前、江戸東京の浅草で人気を博した見世物興行の細工物のひとつで、まるで生きているかのごとく、人間の諸相を様々な主題で再現した人形で、祭礼に出された造り物もその源流の一つである。後には、人体標本、博覧会の展示物、呉服店や百貨店のマネキンとしての展開もみせた。また生人形師たちは依頼を受けて小型の肖像彫刻なども制作した。大阪歴史博物館の芸能資料としては、熊本出身の著名な生人形師、松本喜三郎の作品と、心斎橋の絣店のマネキンとして用いられてきた作品を収蔵する。(澤井浩一)
生人形 池之坊
松本喜三郎 明治4年(1871) 本館蔵 廣瀬巖氏寄贈
熊本出身の生人形師、松本喜三郎の一世一代の大作「西国三十三所観音霊験記」は明治4年に浅草で興行して大当り、4年のロングラン興行となった。明治12年(1879)には大阪・千日前で興行され凡そ60万人が見物し、浄瑠璃や歌舞伎等にも大きな影響を与えた。本作は、十八番六角堂で観音菩薩に生花の法を伝えられる池之坊の人形で、首(頭部)と両手のみが残るが、胴体は木材等で骨組みを組み衣装が着せられていた。箱書には松本喜三郎の署名に加えて、喜三郎没後に興行を担った「天真会」の名も記されている。生人形 初代中村鴈治郎
昭和初期 本館蔵 山田満子氏寄贈
大阪で絶大な人気があった初代鴈治郎をモデルとする生人形。心斎橋筋にあった久留米絣の老舗「くるめや」が、町人姿(本品)と武士の姿の人形の2種を制作し、町人姿は浴衣のマネキンとして用いられた。その姿は『写真心斎橋』(1935年)に掲載される店舗の写真でも確認できる。首(頭部)、両手、両足の造形部分には胡粉の上に着色が施され、着衣に隠される上半身と下半身の2つの胴体部は、ラワン材、布、針金等で製作される。
