(2024.10.25更新)
会 期 | 令和6年12月25日(水)~令和7年2月17日(月) ※火曜日・年末年始(12月28日~1月4日)休館、 ただし2月11日(火・祝)は開館、翌12日(水)は休館 |
会 場 | 8階 特集展示室 | 時 間 | 9:30~17:00 ※入館は閉館30分前まで |
観覧料 | 常設展示観覧料でご覧いただけます |
主 催 | 大阪歴史博物館 |
大阪歴史博物館では、令和6年(2024)12月25日(水)から令和7年(2025)2月17日(月)まで、8階特集展示室において、特集展示「稲作民俗事始め―米をつくる技術、米がつくる文化―」を開催します。
鏡餅、お花見、福箕、稲荷神社など、稲作の文化から派生した風習や信仰は、いまも私たちの生活に息づいています。これは、稲作が日本人にとって基本的な生業であったことを意味します。このことは、農具の改良や新たな農法の導入など、米作りをめぐる技術革新の歴史からもわかります。稲作にまつわる民俗は、まるでたわわに実る稲穂のように豊かな様相をみせます。
本展示では、近年の民俗学研究を振り返りながら、農具を中心とした技術伝承や農耕儀礼、穀霊信仰に関わる資料を紹介し、人びとがどのように稲作に向き合ってきたのかについてたどります。みなさまにとって、本展示が稲作とその文化について振り返る「事始め」となることを願っています。
主な展示資料
展示資料数:約30点
大正期の生駒山麓の水田風景です。イネのあいだには、畦畔に植えられたマメの葉がみえます。水路では漁撈も行われたことでしょう。遠方に目を向けると、マツの疎林が確認できます。これは、生駒山で肥料のための草が盛んに採取されたことを示しています。近年、民俗学では生業を複合的に考察する向きがあり、水田は稲作だけでなく、畑作や漁撈、狩猟などさまざまな生産活動の場であると捉えられています。稲作民俗の目を通してみると、ひとつの写真が違った意味を伝えてくれます。
大阪の民俗学者・小谷方明(1909-1991)が、自宅の民具をスケッチし70部限定で出版した図録です。本書には日本民俗学の創始者・柳田國男(1875-1962)も関心を寄せ、書信を送っています。当時、「民具」という語には「庶民が自給的に製作した道具」という意味づけがなされていました。しかし、本書ではこの考えにこだわることなく、稲作・畑作にかかる農具を掲載しています。のちに、小谷は唐箕や踏車などの職人が製作し農村で普及した道具に注目し、これらも民具研究の対象とする「流通民具論」を提唱していきます。
羽根板のついた車を足で踏み、田に水を汲みあげる揚水機です。本資料には「大坂根元|農人橋二丁目/京屋治兵衛」という銘文の焼印が確認できます。大蔵永常の著書『農具便利論』(1822)には、踏車は大坂農人橋(現:中央区)の農具職人・京屋が製作し、宝暦・安永年間(1751~1781)に各地に普及したとみえます。踏車の製作者として名高い京屋ですが、現存する京屋製踏車はごくわずかで、現在までに大分県に2例、奈良県に2例(1例は車のみ)が確認されます。本資料は、国内5例目の京屋製踏車です。
大阪市平野区の杭全神社では、4月13日の夕刻に御田植神事が行われます。当神社では、尉面をつけたシテが「鍬入れ」「唐犂」「田ならし」「籾種撒き」「田植え」の行程を演じます。「田植え」の場面では、「太郎坊やーい、次郎坊やーい」という掛け声のあと、田男と早乙女が次郎坊人形を伴ってあらわれます。シテは次郎坊に箸でモッソウ(白蒸)を3度食べさせ、桶に放尿させる所作を行います。その後、次郎坊人形を背負った田男と早乙女が、松葉をイネになぞらえ田植えを演じます。
牛の藪入りは「牛駆け」とも呼ばれ、大阪近郊で5月5日に行われた行事です。特に梅田のものが有名で、この日は農耕牛を新しい鞍や種々の草花で飾り、自由に遊ばせました。端午の節供とも時期が重なり、ウシに粽を食べさせ、残りは子どもの疱瘡除けとされました。5月5日は農業や牛馬の神とされる野神の祭日にあたることから、牛の藪入りとの関係が想像されます。本資料は、上方郷土研究会が明治以降に途絶えていた本行事を復興させた際の幟です。ウシの絵は、郷土玩具を多く描いてきた川崎巨泉(1877-1942)の手になります。
関連行事
展示解説 | |
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【日 時】 | 令和7年(2025)1月13日(月・祝)・1月25日(土)・2月15日(土) 午後2時から30分程度 |
【担 当】 | 俵 和馬(大阪歴史博物館 学芸員) |
【会 場】 | 大阪歴史博物館 8階 特集展示室 |
【参加費】 | 無料(ただし、入場には常設展示観覧券が必要です) |
【参加方法】 | 当日直接会場へお越し下さい。(※事前申込不要) |