大塩平八郎の乱
(2025.5.2更新)
令和7年4月23日(水)~9月15日(月)(予定)
※前期:~7月7日(月)、後期:7月9日(水)~(予定)
天保年間(1830-44)には天災と飢饉が続き、米価や諸物価が高騰しました。町奉行所与力であった大塩平八郎は、民衆の困窮ぶりにも関わらず幕府が対策を取らないと憤り、天保8年2月19日早朝に蜂起します。しかし、事前に計画が漏れたため、当初の目的を果たせないまま、その日のうちに鎮圧されました。大塩とその息子は逃亡し、翌月に大坂市中で潜伏していたことが発覚し、自殺します。大塩の乱の終結後には各地で反乱が起こったことから、幕府の支配を揺るがした大事件だったといえます。
大阪市博物館機構のスペシャルコンテンツ「大阪の宝バーチャル体験展示室」では、当館所蔵の「大塩焼図」と、『出潮引汐奸賊聞集記』のデジタル画像を公開中です。大塩の乱で類焼した範囲を現代の地図に重ねて確認できるほか、大塩の乱ゆかりの地を『出潮引汐奸賊聞集記』の挿絵とともに紹介しています。
これと関連して、常設展示9階大阪の幕末・維新コーナーにて当館所蔵の大塩平八郎関係資料を展示しています。
(島﨑)
大阪の宝バーチャル体験展示室(https://dom.ocm.osaka/treasure/sp/6/)
フロア / 9階 | コーナー /大阪の幕末・維新 |
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