大阪の公立高等女学校
(2025.12.18更新)
令和7年11月26日(水)~令和8年3月31日(月)(予定)
大阪における公立高等女学校は、明治13年(1880)に開校した東区の「愛敬女学校」が始まりであるといわれています。しかし、同校は、裁縫が中心であったため、女子の中等教育機関は、明治19年(1886)の大阪府女学校の開校を待つこととなりました。明治32年(1899)に、高等女学校令が制定されると、大阪でも開校が増えていきます。高等女学校は、尋常小学校を卒業した女子が進学し、家事や裁縫等の科目時間数が多く、良妻賢母の育成を狙いとしたものでした。卒業後は、女子高等師範学校や女子専門学校に進学することとなりますが、進学率は低かったようです。
「都市の構造」のコーナーでは、大正時代に開校した、大阪市北区の高等女学校に関する資料を通じて、当時の高等女学校の特徴を紹介しています。この機会にぜひご覧ください。
(猪岡)
| フロア / 7階 | コーナー /都市の構造 |
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