近代俳人・塚本虚明 ゆかりの品々
(2026.2.6更新)
令和8年2月4日(水)〜5月11日(月)予定
明治時代、俳句にも新しい展開が起こります。正岡子規(1867-1902)による革新運動は、偶像化された芭蕉の論評を行い、俳句の近代化を提唱するものでした。俳句雑誌『ホトトギス』(創刊当初『ほとゝぎす』)の発行も大きな影響を与えます。
大阪の俳人、塚本虚明(1880-1939)も子規から影響を受けた一人です。虚明は銀行に勤めながら、積極的な投句を続けました。松瀬青々(1869-1937)に師事し、『宝船』『僊鳥(せんちょう)』の重鎮としても活躍します。
当館には虚明が所有していた品々が寄贈されています。本コーナーでは虚明の句稿や短冊などを紹介します。
(奥本)
「塚本虚明句稿1」
大正2年~6年、塚本和男氏寄贈、本館蔵
虚明が書き溜めた、本文は163丁になる和綴の句稿集です。奥書には「大正二年 秋三十七、冬十一」と年毎の作句数をまとめており、虚明の真面目な性格が伺えます。当館には同様に仕立てられた句稿集が19冊あります。
松瀬青々筆短冊 「牀に蓮月……」
近代、塚本和男氏寄贈、本館蔵
虚明の師、松瀬青々による短冊です。自著『松苗 : 句集 春』に、知人を訪ねるために京都を旅し、西芳寺にて筍飯をご馳走になったという記載があります。床の間に大田垣蓮月 (1791-1875)の賛と鳥居が描かれた掛け軸が飾っていたとも記しており、「牀に蓮月」はその情景を詠んだのでしょう。
正岡子規「墨汁一滴」原稿
明治34年ごろ、塚本和男氏寄贈、本館蔵
『墨汁一滴』は正岡子規が病床生活を送りながらも、新聞『日本』で連載していた随筆集です。その中に、虚明が奈良のお水取りについて詳細を書いていたことを喜ぶ文章があります。
この原稿を所持していた塩谷鵜平(1877-1940)が 、虚明の入院を聞いて急ぎお見舞いの品として届けました。虚明は病床で受け取り、その数日後に息を引き取りました。
| フロア / 7階 |
コーナー /メディアと流行 |
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