(2026.9.7更新)
| 会 期 | 令和8年(2026)11月25日(水)~ 令和9年(2027)2月1日(月) ※火曜日・年末年始(12月28日~1月5日)休館 |
| 会 場 | 8階 特集展示室 | 時 間 | 9:30~17:00 ※入館は閉館30分前まで |
| 観覧料 | 常設展示観覧料でご覧いただけます |
| 主 催 | 大阪歴史博物館 |
大阪歴史博物館では、令和8年(2026)11月25日(水)から令和9年(2027)2月1日(月)まで、特集展示「千日前の興行師・奥田辨次郎」を開催します。
本展では、明治時代に興行師として千日前の発展を牽引した奥田辨次郎(1837-1898)とその家族に焦点を当てます。
歓楽街として有名な千日前(大阪市中央区)は、江戸時代まで刑場と墓地があった地域でした。明治時代に難波新地から興行場が移転され、驚く速さで歓楽地へと生まれ変わります。千日前の通りには小屋が立ち並び、寄席、娘義太夫、二輪加(寸劇の一種)、軽業(アクロバット)、曲馬、ヘラヘラ踊り、生人形…と多様なジャンルの出し物が展開されました。
辨次郎一家は刑場跡(日本橋駅と難波駅の中間付近)に奥田席と称した見世物小屋を建て、軽業を中心に興行していました。海外の曲馬団や手品師と組んだ見世物も話題となり、千日前のにぎわいを創出してきました。さらに台湾の各都市を巡って興行を開催するなど海外でも活躍しました。
当館では、平成21年(2009)にご子孫・奥田幸治郎氏により寄贈された辨次郎一家の資料群を所蔵しています。これらの資料群から奥田席の芳名帳、芸人の写真、帳簿などを展示し、辨次郎一家の興行の実態に迫ります。
主な展示資料
展示資料数:約40件
辨次郎は明治3年(1870)ごろから見世物興行に携わり、広島県など大阪府以外の地域でも興行活動を行っていました。この作品は仏師・山崎春吉(後の朝雲、1867-1954)による肖像彫刻です。地方での興行を行っていた際に、博多に住んでいた朝雲と関係ができ、制作を依頼したものと考えられます。右手の中には棒らしき造形物があり、もともとは扇子を握っていたと思われます。穏やかな表情と威厳ある堂々とした姿から、興行師・辨次郎像を印象づけます。
奥田席の図面や布令の書き写しなど、備忘録的に使用された文書です。その中でも奥田席を訪れた人々による記帳は全体の9割を占めます。仕入れ先の業者から役者、文人、海外の方まで、その数およそ900名に及びます。新派俳優の山口定雄(1863-1907)や小説家・演劇評論家の渡邊霞亭(1864-1926)らの名前もあり、近代の大衆文化におけるキーパーソンが次々と訪問していたことがわかります。
左は西洋奇術、右は鳩の曲芸を行う芸人たちを写したと思われる写真です。辨次郎一家は軽業の魅力を海外にまで広げたと称されています。それを証明するように、辨次郎一家の資料群には見世物小屋に出演していた芸人や、来日した海外曲馬団の写真が残っています。中には右の写真のように子どもが写る写真も含まれており、当時の諸芸の在り方を知ることができます。
ロシアの大規模な曲馬団・ニコライバロフスキー 一座と組んだ興行の帳簿で、この時は辨次郎の息子・徳次郎(1865-1929)が二代目奥田辨次郎として興行主を務めました。帳簿には日々の興行実績が「上り金額(売上)」「敷物代金額(席料)」「人員(観客数)」と項目を分けて明記されています。明治時代の興行における1日当たりの売上金額、来場者1人当たりの消費額が算出できる貴重な資料です。
関連行事
| 展示解説 | |
|---|---|
| 【日 時】 | 令和9年(2027)1月11日(月・祝)午後2時から30分程度 |
| 【担 当】 | 奥本 未世(大阪歴史博物館 学芸員) |
| 【会 場】 | 大阪歴史博物館 8階 特集展示室 |
| 【参加費】 | 無料(ただし、入場には常設展示観覧券が必要です) |
| 【参加方法】 | 当日直接会場へお越し下さい。(事前申込不要) |



