百済土器瓶
(2026.9.2更新)
令和8(2026)年9月2日(水)~11月30日(月)予定
難波は古くから古代日本(倭)の対外交渉の窓口として、重要な役割を果たしていました。『日本書紀』には朝鮮三国の高句麗・新羅・百済や中国の隋・唐の使者が、難波に上陸・滞在していたという記事がしばしばみられます。
難波ではこれを反映してか、新羅や百済の土器がたくさん出土しています。今回展示をするのは写真の百済土器瓶です。上の部分(口縁部)は欠損していますが、全体の形がよくわかります。肩が張った花瓶のような形は、百済の都があった韓国忠清南道扶餘郡で発見されている瓶とそっくりです。出土場所は難波宮跡公園の南西部で、前期難波宮を造営する際の整地層から出土していることから、時期は難波宮完成(652年)よりも前であることがわかります。
国際都市大阪の原点を示す資料です。この機会にぜひご覧ください。
(寺井 誠)
| フロア / 10階 | コーナー / 難波宮前夜 |
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