第1回普通選挙のチラシ(2)
(H26.6.12更新)
平成23年9月28日(水)~ 10月24日(月)(予定)

昭和3年(1928) 個人蔵
枡谷陣営は、第1回普選では少なくとも7種類のチラシを発行していたことが確認されています。このチラシは、そのなかでも表裏両面印刷の珍しいものです。裏面には第一投票所の場所を示す地図が印刷されていて、この選挙で初めて投票に行く人びとを取り込もうとする工夫だと考えられます。また、第一投票所の区域が安治川と九条の両聯合 地域であることがわかります。聯合とは小学校の学区のことですが、学区はこの選挙の前年の昭和2年3月に廃止されています。廃止後も旧学区の区域が住民生活にとって重要な意味を持っていたことがうかがえます。
枡谷寅吉選挙チラシ(裏)

昭和3年(1928) 個人蔵
石原は元朝日新聞の政治部記者で、大正3年(1914)の大阪府会議員選挙で当選して以来、代議士となることを目標にしていました。この選挙では惜敗します。文字通り「今一息」でした。しかし、次の選挙では当選します。その後、石原は奈良市長に転身し、戦後は、尾道市長に2度当選。「夢を語る市長」として市民に親しまれ、尾道市立女子専門学校(現尾道大学)の創設などの業績を残しました。

昭和3年(1928) 個人蔵
宮武が所属していた革新党は、この選挙の前年に清瀬一郎ら元革新倶楽部の党員が中心となって結成された政党です。当時、選挙チラシに使用される色としては、赤系と青系が主流でしたが、宮武のチラシは、緑色一色で仕上げるユニークなものでした。新党ゆえに、チラシのデザインでも独自色を強調したかったのでしょうか。
前回に引き続き、昭和3年(1928)の第1回普選の際、配布された選挙チラシを紹介します。今回も大阪一区(西区・港区)の候補者のものです。この選挙では、全国で約1千万人という大量の有権者が出現しました。これらの人びとに対して、各陣営はどのようにアプローチしたのでしょうか?あるいは、各候補者がチラシで訴えた政策や主張はどのようなものだったのでしょうか?現在と比較するとどのようなことが言えるでしょうか?今回は、そのような視点でご覧いただけたらと思います。
なお、展示を準備するにあたり、当館の博物館実習を受講された学生にもグループごとに展示プランについて議論してもらいました。若い感覚で、現在のマニフェスト選挙と比較したり、各候補者のチラシのデザインを比較したりと、いろいろ考えてもらいました。大阪大学と帝塚山学院大学のみなさん、ありがとうございました。(飯田直樹)

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