大阪大空襲と戦災焼失区域図
(H27.8.5更新)
平成27年7月29日(水)~9月28日(月) (予定)
今からちょうど70年前の昭和20年(1945)、大阪はたびかさなる空襲によって焼け野原となり、1万人以上の人々が亡くなりました。当館では、空襲被害の実態について、焼夷弾(しょういだん)や空襲体験画パネルなどの展示を通じて紹介しています。今回展示する戦災焼失区域図も空襲関係資料の一つです。空襲被害が大阪市の広い範囲に及んだことを確認してみてください。
(飯田直樹)
戦災焼失区域明示大阪市地図
昭和21年(1946)本館蔵
敗戦直後から空襲による焼失区域を示す市内地図が数種類発行されています。この地図では、朱色の箇所が空襲による焼失区域です。市中部を中心に、一般市民の居住区域の多くが、空襲によって焼失したことが確認できます。また、この地図には、「名村」や「藤永田」など当時住吉区(現住之江区)にあった造船所の所在地が手書き(青字)で記されています。ちなみに名村造船所は空襲被害を免れますが、駆逐艦の製造で有名だった藤永田造船所は被災しています。
フロア / 7階 | コーナー / 地域のなかの戦争 |