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難波宮発掘開始70周年記念 大化改新の地、難波宮―古代日本のターニングポイント―!
(2024.4.24更新)
展示資料

難波宮造営以前の素弁八葉そべんはちよう蓮華文れんげもん軒丸瓦のきまるがわら
 

難波宮跡出土 7世紀前葉
大阪市教育委員会蔵

素弁八葉蓮華文軒丸瓦

難波宮の造営は、645年に始まる大化改新を契機として開始されます。それ以前の大阪には、難波津という港や四天王寺があり、大陸文化と接する場所でもありました。本資料は、のちに前期難波宮朝堂院ができるエリアで見つかりました。難波宮造営よりも前の7世紀前葉のもので、文様の型には四天王寺創建期の瓦と同じはんを用いています。一方、前期難波宮にあたる時期に大規模な宮殿の規模に見合った量の瓦は出土していないため、宮殿は板葺いたぶきであったと推定されています。


祭祀に関わる遺物

難波宮跡出土 7世紀半ば
大阪市教育委員会蔵

祭祀に関わる遺物

前期難波宮の北西部から、くらを付けた土馬どばや、木製の人形ひとがた斎串いぐし、舟形木製品などが多数出土しました。こうした遺物はおもに古代宮都の縁辺部や水辺で見つかることから、国家事業としての祭祀に関わる資料として注目されてきました。本資料も谷底に設けられた石組の水路の遺構周辺で見つかっており、谷底から湧く水を利用した祭祀に関連する資料であると考えられています。


絵馬

大坂城跡出土 7世紀半ば
大阪府教育庁蔵

絵馬

本資料は、これまで日本で見つかっている中では最古の絵馬として注目されるものです。648年と推定される干支が記された「戊申年木簡」とともに、前期難波宮北部に存在した谷から出土しました。 スギ材を使用しており、残存部で横11.5㎝、縦5.7㎝、厚みは0.5㎝で、全体の約4分の1が残る状態です。右向きに描かれた馬の後脚と尾の先が見えており、身体全体に彩色が施されていたと考えられます。

【原品特別公開:7月13日(土)~7月22日(月)※これ以外の期間は写真パネルで紹介します】


戊申ぼしん年木簡

大坂城跡出土 7世紀半ば
大阪歴史博物館蔵
(原品は大阪府教育庁蔵、大阪府指定文化財)

戊申年木簡

日本最古の絵馬とともに出土した、中央に「戊申年」と墨書された木簡です。出土地点は、少なくとも幅60m、古代時点で深さ8mを測る大きな谷で、7世紀半ば頃の土器・須恵器がともに出土しています。干支「戊申」にあたる年は648年、まさに前期難波宮を造営中だった大化4年を指しているとされます。上部に書かれた「戊」や「稲稲」は、書体や墨の濃淡からみて「戊申年」以下の文字とは別に書かれ、裏面にも2行以上の墨書がありますが、下部と側面を欠いているため、全容は不明です。(画像はレプリカです)

<お詫び>戊申年木簡は、都合により全期間、複製品を展示いたします。


藤原宮の複弁八葉ふくべんはちよう蓮華文れんげもん軒丸瓦のきまるがわら

藤原宮跡採集 8世紀
大阪歴史博物館蔵

藤原宮の瓦と同范の忍冬唐草文軒平瓦

前期難波宮は、日本の宮殿構造としては中国風の画期的なものでしたが、瓦屋根建築ではない点は旧来の日本のスタイルを保っていました。一方で、694年に都となった藤原宮は、宮殿建築では初めて瓦葺かわらぶきを導入しています。その瓦は近江や淡路、遠くは讃岐など各地の瓦窯で大量に焼かれ、はるばる大和まで運ばれることになりました。これらは大極殿や朝堂といった建物の屋根を飾り、壮麗さを演出したことでしょう。